0014-ビートたけし前・ビートたけし後(後編)

私が子供の頃には「全然」という言葉は肯定文には全然使われませんでした。

否定を強調する副詞の単語なので否定文にしか使われないのが当たり前なのですが今では全然平気で肯定文に使用したりします。

【例文1】:

「お金いくらかある?」
全然ないよ」

ない、という否定を強調するので【例文1】は正しい使い方。

【例文2】:

「お金いくらかある?」
全然あるよ」

【例文2】は今でも厳密には間違っている使用法ですが最近はこういう喋り方をするし私もよくこのように使います。

(※現在は指導要領で正式に否定文に伴う副詞とされているので間違った使用法なのですが、更に大昔は現在のように肯定文でも使われていたらしく、それを昭和の途中で否定のみで使うようになったらしいので歴史的には間違っているとも言えないらしく実は二転三転していて非常にややこしい!)

ANGERME-ハロプロ画像
大変ね。平日働きすぎじゃね?あ、今ハロプロは全然関係ないス。

相手の期待を裏切る言葉遊び

だけど、私が子供の頃は【例文2】の使用を実際に耳にすることはまずありませんでした。

この”全然”という単語が肯定文で多用されだした頃をよく覚えているのですが、あくまでそれは会話における「言葉遊び」の1つだったと思います。

世の中の皆の感覚の中で”全然”と言われれば「否定の文章」とすぐに思う共通認識があった時代は、

「お金いくらかある?」
「全然・・・」

と言われた時点ですでに聞き手が「あ、無いのか」と認識して会話は実質的には終結していたのです。

 

でもそこで

「・・・あるよ」

と言われると聞いている方が予想を裏切られて最後にコケる(笑)。

話し手もそれを狙った一種の小さなギャグというかウィットに富んだ会話方法って感じに聞こえましたし、私自身はそれが面白くてそういう「言葉遊び」として、間違っていて変だからこそ”わざと”使い始めました。

 

もちろんそれは、あくまで「全然」が否定の言葉として皆が認識しているから通用するのであって、今のように誰もが肯定文で使うようになってしまうと、会話の最後に意外な逆転を感じないので全然ユーモアでも何でもありません。

多分【例文2】のような使い方をするようになってからの時代しか生きていない若い人は、そもそも「全然」を肯定文で使う事が間違っているなどと感じる訳が無いですしその会話方法が洒落てるなんて思うわけもありません。

 

当たり前だった「本音と建前」の使い分け

後編から突然話が変わっていますので前編の続きに戻します。

昔のビートたけし画像

ビートたけしの登場が僕ら当時の若者にとって非常に鮮烈でスカッとするものだったのは、世の中がなんとなく今より良く言えばキチンとしていたし悪く言えば堅苦しかったから、彼の破天荒ぶりが突出して異質に見えて「破れない慣習的な殻」を気持ち良く打ち破ってくれてる様に感じたからではないかと思います。

彼が登場した後はTV番組にバラエティ系が増えて、続いて活躍するお笑いタレント達(とんねるずとかダウンタウン等)の番組でも同様に「建前」っぽい嘘の部分をTVの中で笑い物にしてぶち壊す事で視聴者をスカッとさせていたように思います。

 

だけど若者に支持される文化はすぐに若者の日常生活そのものに吸収されていきます。

当時のビートたけしや後の芸人達が大御所にやっていた行為(昔の”偉い大人”からすればやられたら腹が立つ事)とそっくりの態度を若者が使い始めるようになったのです。

大人が建前の話をしても「でも本音はどうなのよ?」建前なんかに納得しない上にバカにしたようなツッコミまで入ります。

 

”ビートたけし前”から生きていた私から見ると、建前ばかりのお話を聴いていると「建て前ばかりの話をしてんじゃねー!」と茶々を入れる気持ちも理解できますが、「確かに建前の話だけど、今は皆で建前に沿って行動するべき」と思って本音を押し殺して黙って聴くべき場面も場合によってはあると思うわけです。

TV番組でタレントが「社会常識から逸脱した行為」をとるのは、見てる側が常識を理解していてそこに縛られているので、常識を破るのを見るのが楽しいから笑いや娯楽となるのであって、あくまで本来はTVの中だけで許される行為だというのが私の考えです。

本音と建前イメージ画像
建前と本音

 

ですがそもそもその「前提(常識)」を知らない若者達は、その番組内のスタイルこそが日ごろ触れる「常識」となってしまうので、そのまま生活の中で普通の行為と思って実践・行動するわけです。

礼儀を知っている上で意図的にそれを外してウィットに富んだ笑いとするか、前提となる礼儀を知らずに傍若無人に振舞うか・・・これは大きく違います。

(若者がTV(今だとYouTubeか)に影響されて行動してしまうのは大昔から今まで多分ずっと一緒ですね)

 

まぁブログとして無理やり話をまとめると・・・奥ゆかしさとか礼儀とか、本音と建前だのという「日本の文化」と呼べるくらいの大きな枠が、私の中で「なんとなく変わったなぁ」と感じられるちょうどターニングポイントに私の中では『ビートたけし』という人がいる気がするというお話でした。


そしてYouTube世代

 

そして今はTVに代わってYouTubeなどのネット動画配信が主流となっていますが、そこではもう世間の共通認識などは皆無に近く、仲間同士のごくちっちゃなコミュニティでのルールを基に世界へ情報を発信してしまうので、数々のびっくりするような非常識事件が頻発しているのはご存じの通りです。

もはや社会常識という共通認識を以前のように国レベルで共有するなどという事は二度とないのではないだろうと非常に不安でなりません。

もはや一人のTVタレントが世間全体に莫大な影響を与えるって事はもう無いのかもしれないですね。


余談:「たけしの誰でもピカソ」に出演した際の楽屋裏話

上で書いた「ビートたけし」という人はあくまで漫才師・お笑いタレントという括りの人ですが、私がTVで番組に出演した際には既にたけしさんは”世界の北野監督”と呼ばれ「映画監督の北野武」として有名になった後なので、もちろん個人的にお話をしてみたいという願望が非常に強かったです。

ところがいざTV局の楽屋に入ると番組の収録時間というのが想像をはるかに超えて長くて、私が出演するコーナーまで相当の時間を楽屋で待たされましたし(笑)、しかもそれが二本撮りの一本目だったので収録が終わっても全然たけしさんは時間が空く様子もなく、僕ら(ケン(高村)とマル(丸島)も楽屋に居た)は帰りが遅くなるのでスタッフから早々にタクシー券を渡されて帰らされてしまったので非常に残念でした。

たけしの誰でもピカソ画像2

それにしても収録ではTVでは放送されていない事も色々と話していて、実際には放送の2倍位の時間が現場ではかかっていました。

私が出演したコーナーでも放送された以外の話がもっと多くて、その中には僕にとって凄く嬉しいコメントや褒め言葉がたくさんありました。

だからそれらがTVで紹介されるのが本当に楽しみだったのに、放送を見たらほとんどカットされていてガッカリでした。

優勝して賞金ももらって嬉しい事だったのに放送見てガッカリした、という変な感じだったので余計に記憶に残ってるんですね。

本当に直角なんだ

それともう一つ、この収録時の事で非常に印象に残った場面というのがあります。

TV局に早めに入って待機していた時なのですが、楽屋前の廊下が急にワタワタと騒がしくなったので何事かと外に出てみたら、廊下の突き当りの裏口玄関の前に真っ黒でスモークガラスのベンツが横付けされて中からたけしさんが出てきたのです。

私の年代の人間にとっては「THE・MANZAI」や「俺たちひょうきん族」と言った、若い頃に夢中になって見ていたTV番組の大人気者であるあの「たけし」が目の前に現れるっていうのはもちろんワクワク・ドキドキだし、また映画監督としての顔もあるので「北野武」という人とは対等の気持ちも持っていたいし映画のお話をしてみたい、という少し複雑な気持ちでその光景を眺めていました。

するとたけしさんの到着に合わせて多分番組の若いスタッフ達だと思いますが、廊下の両脇に腰を直角にまげてお辞儀をした状態でズラッと並んで迎え入れていたのです。

あんなに大勢の人間が全員で直角お辞儀をしている姿を見たのはあれが初めてです。

そしてまた廊下を歩くたけしさんの歩みが驚く程にゆっくりで遅かった!

直角お辞儀の道の中央をゆ~~~っくりとノシノシ歩く様は貫禄たっぷりで、私には正直「ヤ●ザの組長さんが出所してきたシーン」にしか見えなかったです。

ユックリで静かなのに物凄い迫力・威圧感があり圧倒されたので非常に印象に残っています。

TV局入りするたけし画像
大量の生・直角お辞儀を初めて見ました。

 

モックンのケース

しばらくしてまた黒塗りの高級車が停まり今度は中からモックン(本木雅弘さん)が出てきました。

彼の場合は一人でサッサと入ってきて颯爽と歩いて行きました。

それはそれで格好良くて印象的でした。

 

0014-ビートたけし前・ビートたけし後(後編)