今回は「日記」についてのお話です。
私は昔から今まで書き綴っている(いた)物(ノート)が何種類かあります。
私がやっている事・やっていた事は、まず基本的に全部「映画制作の為にいずれ役立つはず」との考えで始めている事(英語や歴史・地理の勉強、運動・トレーニングなども含めて)なので以下の書き物も全てシナリオ考や映画制作の為に始めたというのが本当のところになります。
1つは「映画ノート」
これは映画を観るたびにその作品ごとに「簡潔なストーリー」と、映画としての「良い点」と「悪い点」を文章で書いた上で1~10点の点数を付けて参考用に残している物です。
もう何十年も前から付けているので既に大学ノート17冊がビッシリ埋まっていて、本数で言うと2000本以上の映画について書かれています。
自分が映画のシナリオを考える際に何より一番ヒント・参考になる重要なノートで、私の家に存在する物の中で私個人にとっては一番の貴重品・宝物です。
多分、当ブログのコンテンツとしてもコレを映画データベースとして公開するのが本当は一番一般的な需要があるだろうし面白いのだろうと思いますが、まあ映画制作者としてはあまりにも具体的な作品ごとに直球の個人的感想が書かれているので公開は出来ないものになっております。
もう1つは「感情ノート(EMOTION・NOTE)」
これは自分の感情が大きく上下した時(怒ったりとか泣いたりとか喜んだ時)に、その原因・内容を毎回書き残すというものでシナリオ作成の際のヒントになると思って始めたものです。
実際のところ色々と問題(?)があり、もうこれに関しては書くのを止めてしまっていてノート2冊で終了してしまっているのですが・・・私が個人的に考えるに、多分、作詞をする「ミュージシャン」の方とかには非常に有効なんじゃないか?と思うのでそういう方にはおススメします!
とりあえずこのノートに関してはいずれまた詳細をブログで書く予定でいますのでその時にまた。
そして最後に「日記」
これは最初は中学生の時に学校の宿題で強制的に書かされた日記帳が始まりなのですが、中学2年生の途中~3年生の途中までを(宿題として)綴った日記帳を、後日、高校生になった私がたまたま読んだら面白かったので、将来の為にまた高校生活も書き残そうと思って再開したのがキッカケです。
詳しくはこの文章内で後述しますが成人してからも日記はずっとつけ続けまして、後々にタイトルの「石原10年日記」という日記帳に出会う事になります。
それは『1冊で10年間分の日記がつけられる』という日記専用のノートなのですが、私は既にコレを2冊使用し終えて3冊目を使っています。
つまり20年以上の愛用者という事ですね。

『石原10年日記』:
「感情ノート」は今は止めていますが、「映画ノート」と「日記」は今も継続中で、そのうち「日記」に関しては映画制作用のみならず、一般の生活の上でも色々と役に立つ部分や面白い部分があると思うので、皆さんにおススメという意味も含めて今回はこの「石原日記」についての紹介を書こうと思います。
(※一応、お断りしておくと私はこの日記帳を出版している石原出版社からお金をもらって宣伝している訳ではなくて、純粋に個人的にこれを使用しているので感想として書いているだけです)

前述の通り私は中学生の頃から日記をつけ始めてそれ以来ほぼずっと現在まで日記を残しています。
きっかけは中学生の時の宿題で一時期強制されたからですが、高校生になってからその日記を発見して読み直してみると、すっかり忘れていたような些細な事が中学生当時の自分の言葉で瑞々しく書かれている為、非常に懐かしくて楽しく「高校生活以降も書き残しておけば将来読んだら面白いだろう」と思って(老後の楽しみの為に?)再開したのが本格的な始まりです。
私は中学生の時に既に自主映画制作を開始していて、以降もずっと自主映画を作っていましたが開始時点では「シナリオの為」ではなく趣味の一環だった訳です。
ですが成人して以降はどちらかというと「若い時の感性をその当時の言葉で残しておくと年をとってから昔の時代を描くときに参考になるのではないか?」という考えと「映画制作活動の記録」としての意味を重要視して書き続け(途中からは「惰性でやってる」感が強いですが)そのまま今に至っています。
実際に別のサイトにある「楓牙製作日誌」や「INGA!製作日誌」を書くにあたっては非常に役に立っています。
昔の事は覚えているようでいて意外に忘れていたり思い違いしている事が多いですし、想定外で役に立つと感じるのは「当時の自分が使っていたリアルな言葉」がそのまま残っている事です。
歳を取ると”言葉使い”も含めて本当に様々な事が変化しているのだと日記を読むと痛感できます。
普通の日記帳や大学ノートでの記録は意味がない!
日記を開始してから数十年の間はずっと大学ノートに綴っていました。
18才~30才頃まで大学ノートにびっしりと書かれた22冊の日記が残っています。
1ページに一日分とか表形式とかにしてしまうと、書かない日分は空欄になってしまってノートが無駄になるので、行頭に日付を書いて、その次の行から内容を書き、内容が終わったら一行空けてまた次回の日付から・・・を繰り返す形式で書いていました。

読んだらきっと面白いだろうなぁ・・・と思うのですが、実は今まで一度もこれらの大学ノート時代の日記を読み直した事がありません!
まず、今まで私が自主映画で作った作品の内容が「忍者(しかも架空の世界の話)」とか「坊主が悪霊と戦う話(やはり架空の世界)」とか、空想SF劇ばかりなので、自分の若かりし頃を参考にするような青春ものではなかったという事が第一の大きな理由です。
第二の理由としては自分の人生を振り返って楽しんでるような余裕がこれまでの人生で一度たりとも無くて、そんな事をしていられなかった!という事もあります。
孫やひ孫に囲まれて年金で暮らしている暇で幸せなお爺ちゃんになっていたら、死ぬ前に自分の人生劇場を振り返って楽しむのは素敵だと思いますが、これまでのところは明日の生活に必死すぎて過去を楽しんでる余裕が無いのが現状であります。残念。
そして第三の理由として・・・読みたいと思ってもメチャクチャ読みづらい!というのがあります。
書いてある事の日付や内容が検索できないので日記の頭からずっと読み進めていかないと何処に何が書いてあるのか?どんなイベントがあったのか?どの日付の内容が面白いのか?・・・一切わからず、大学ノートを開いても一見して全てのページが文字だらけなだけで、単なる暗号の羅列にしか見えない為、読もうという気が起きないのです。

なので私自身も大学ノートに書いていた後半期頃には「こんな読みもしない日記を付けていても、使いもしない莫大な遺産を抱え込んでる爺さんと一緒で、死んだ時に誰にも役にも立たないゴミ(大学ノート)の山が残るだけで毎日全く無駄な労力を費やしているのでは?」と薄々感じるようになっていました。
(※ちなみに「映画ノート」に関しては内容を全てエクセルにも入力してあるので検索・参照に困りません)
そんな頃に出会ったのが「10年日記」なのです。
「10年日記」と他の日記帳との違い
これは分厚くて重いし大学ノートに比べるとかなり料金が高いのですが、日記なんて家の外に持ち歩かないから重量は関係ないですし、10年で大学ノートが何冊にも分かれてしまうよりも一冊にまとまっている方が後に読む時にも便利だと思って試しに購入してみました。
結果的に言うと大正解でした。

何が大学ノートより良かったのか?というと、
◆1:
初めから1ページで1日単位となっているので「いつ」を探すのが感覚的でわかりやすい。その上大学ノートの様に1ページに書く1日の分量が多くないから、イベントが無くて書くことが少なかったり書き忘れた際にもページがあまり無駄にならない。
ページの始まりが1月1日で終わりが12月31日という丸1年構成なので感覚的にもパッと見たい日付が探せる。
(大学ノートには冒頭から記入日の内容を気分次第の長さで書いていたので内容の分量(行数)も違うし、そのためノートの中でどの辺が何月になっているかは書いてある日付を追わないと見つけられないのです)
◆2:
日付・曜日・天気マークや干支・祝日名や備考欄などが初めから印刷してあるので自分で書く手間が省けるし読みやすくて綺麗。
◆3:
そして何よりこれが一番大きなメリットなのですが・・・日記の後年になるにつれ、過去の自分の日記を嫌が上でも見る事になる!
これは意外に非常に大きなメリットなのです。
上の画像で見ていただければわかる通り、この日記は1ページが同じ日付用で10年分が縦に並んで書き込みするような構造になっています。
そうすると1年目はいつもの日記と同じで毎日書くのはまあ辛いといいますか大変かもしれませんが、2年目以降は書きこむ度にその上欄に昨年までの自分が書いた内容を嫌でも目にする事になるわけです。
この日記と出会うまで大学ノート22冊びっしり日記をつけたのに1回も中を読む事なくバカみたいだったのが、日記を書く度に「わざわざ昔のノートを開いて参照する手間なく」過去の日記が読めてしまうというのは、それまで数十年を無駄にしてきた私にとってはまさに目から鱗の劇的な構成の日記だった訳です!
更に10年日記を何年もつけ続けてみて気が付いたのですが、同じ日付を同じページで繰り返して毎年書くことで、自覚していなかった自分の季節ごとの行動パターンというのが見えてきたりしました。
例えば毎年同じ月の同じ日付付近で風邪を引いていたり、私は花粉症がひどいのですが自分が花粉症の症状が出始めるのがいつなのか?というのが明確になったり・・・備考欄を使えば記念日だとかの備忘録にもなります。
そして・・・それは非常に面白いし役にも立ってます。
やっぱり日記をつけるからにはそれを読んで忘れていた過去の自分なりイベントなりを思いだして楽しんだり役立てたりしなくては意味がないと思います。
過去の自分と毎日出会えるのは楽しいし、逆にそれが今後も日記を付ける動機付けにもなります。
結果的にほぼ、ほぼ石原出版の宣伝マンみたいになりましたが。。。
最近は石原日記がヒットしたからか他社からも似たような日記が色々と出ていますし、10年日記以外にも3年とか5年などのバージョンも発売しています。
大きめの本屋さんに行くと(時期によるかもしれませんが)コーナーがあったりもしますね。
興味が出たら一度覗いてみて下さい。

余談:「日記を続けるコツ」(日記を続ける自信がないという方へ)
これまでに私は自分が何年も日記をつけ続けているという話を人にすると「何年もやり続けるって凄い!」とか「僕(私)には絶対にできない!」と言った反応をされる事が多くありました。
私が若いころからずっと変わらず映画制作の事ばかりを追い続けている事もあって、「1つの事をやり続けられる人だから偉い!」みたいな言い方をされる事が少なからずあるのですが正直それは全然違っていると思っています。
私は日記を何十年も書き続けてはいますが決して”毎日”は書いていません。
下手すると1カ月以上ずっと書いていなかったり平気でします。
例えば大リーグのイチロー選手の様に、超トップクラスのトレーニングを毎日かかさず繰り返す意志や努力・実行力っていうのは本当に凄いですし、それができるのは天才だからこそなのだと思います。
特にイチローの様に数十億ものお金と世界規模の名声を手に入れて何不自由なく暮らせる環境にありながらソレを毎日続ける意志というのは私などには想像もつかないですし、そういう所が天才と呼ばれる所以なのだと思っています。
そこへいくと私たち凡人はなかなかそこまでの強靭な意志を毎日欠かさず貫き通すというのは難しいです。
たとえ1年間は毎日続けられても1年と1日目から急にやる気が失せたり忙しかったりで1カ月間お休みしてしまう事になる・・・そんなのが普通だと思います。
そんな時に多くの人は「ああ自分はやっぱり続けられない人だ」とそこでガックリきて止めてしまうみたいですね。
私は凡人クラスの我々が何かをずっと継続するのに大切なのは
「自分の凡人ぶりを許す事」
だと思っています。
僕は日記もそうですが体力維持のために運動をしたり、参考の為に映画を観たり、シナリオの為に勉強をしたり・・・と、毎日やりたい事・やらなくてはならないと思っている事でがんじがらめになっています(笑)。
当然すべてを連続して毎日こなせる訳もなく、何日もやらずにいる日が続くと自己嫌悪に陥りがちなのですが、それでも
「ま、いいか。仕方ないからまた始めよ・・・」
と思って何度でもアホみたいに再開するようにしています。そうすれば延々と意志は継続はされるわけです。
「諦めが悪い」とか「いくつも抱え込む」とか悪い意味にもなり得ますが、少なくとも諦めない限りは毎回少しずつ前進はするわけで、”カメの歩み”でも最終的に自分のゴールに到着するのであればそれでも良いのではないかと思っています。
「10年日記」と併せて少しでも興味をもたれたら是非お試しあれ!!
0015-「石原10年日記」:終

