今回は「日記」についてのお話です。
私は昔から今まで書き綴っている(いた)物(ノート)が何種類かあります。
私がやっている事・やっていた事は、まず基本的に全部「映画制作の為にいずれ役立つはず」との考えで始めている事(英語や歴史・地理の勉強、運動・トレーニングなども含めて)なので以下の書き物も全てシナリオ考や映画制作の為に始めたというのが本当のところになります。 “0015-「石原10年日記」” の続きを読む
今回は「日記」についてのお話です。
私は昔から今まで書き綴っている(いた)物(ノート)が何種類かあります。
私がやっている事・やっていた事は、まず基本的に全部「映画制作の為にいずれ役立つはず」との考えで始めている事(英語や歴史・地理の勉強、運動・トレーニングなども含めて)なので以下の書き物も全てシナリオ考や映画制作の為に始めたというのが本当のところになります。 “0015-「石原10年日記」” の続きを読む
私が子供の頃には「全然」という言葉は肯定文には全然使われませんでした。
否定を強調する副詞の単語なので否定文にしか使われないのが当たり前なのですが今では全然平気で肯定文に使用したりします。
【例文1】:
「お金いくらかある?」
「全然ないよ」
ない、という否定を強調するので【例文1】は正しい使い方。 “0014-ビートたけし前・ビートたけし後(後編)” の続きを読む
今、このブログを書いている時点で21世紀になってから早くも数十年が経っております。
今10代以下の若者たちが生まれた時や物心がつく頃にはすでに21世紀だったんだというのは、私の年齢の人間からするとなんとも衝撃的に感じます。 “0013-ビートたけし前・ビートたけし後(前編)” の続きを読む
「ライフガード(死の目前の話)」シリーズとしては最後の話です。
ここまで書いた通り、私の日常(小さなビーチのライフガード)は突発的な事故・事件が無い限りは平穏で、毎日沖へ泳いで行っては太陽の日差しと穏やかな波の音を独り占めして幸せを感じる毎日でした。 “0012-ライフガード(死の目前の話4/4)「テリトリー外」(思いだせ!実はそこにいるのだ!)” の続きを読む
今回もライフガードをしていた時の話の続きです。
0009の投稿に書いた通り私は他のライフガード達がいる大きな浜から少し離れた場所にある小さなプライベートビーチみたいな場所で2人きりで仕事をしている事が多かったのですが、そこの浜は幅30m位しか無くて海の家も2店だけしかありませんでした。 “0011-ライフガード(死の目前の話3/4)「恐怖!大もんもん祭り!!」” の続きを読む
前回のライフガードで死にそうになった時のお話の続き(Part2)です。
今回も初めにライフガードに関する紹介を少ししましょう。
今度海へ行った時に監視塔の周りを見てもらうとわかると思いますが、普段ライフガードが待機している監視塔の前には、前回紹介したレスキューチューブやロングボードなどがきれいに並べてあるはずです。 “0010-ライフガード(死の目前の話2/4)「水難者発見!初出動!!」” の続きを読む
私はこれまで色々な仕事・アルバイトをしてきました。
映画のシナリオを書く上で各種職業を覗いておいた方が役立つだろうという事もあり、なるべく違う職種を選んで仕事をしていたのですが、結果非常に感じたのは各職種によって人や雰囲気などの一定の特徴、”色”ってのが確実にあるなぁという事でした。
そういった職種ごとの特徴などもこのブログで案内できればと思いますので、(守秘義務などもあって全部は語れませんが)大丈夫な範囲で紹介していきます。 “0009-ライフガード(死の目前の話1/4)” の続きを読む
映画制作をメインとしたサイトなので、せっかくだからたまにはカメラに関するお話でも書きましょう。
私は(投稿日時点では)使ってませんが、今インスタグラムが流行っていて写真映えする場所(ナイトプールなど)が人気というニュースをよく目にします。
確かに最近はスマホのカメラの機能は高いし画像も容量の許す限りほぼ無制限に撮れるので、心いくまで撮り直した自分のベスト写真をUPしたくなる気持ちはわからないではありません。 “0008-「HDR」と「被写界深度」の話(インスタ女子は知っとくべき!?)” の続きを読む
私は「通訳案内士」という国家資格を持っているのですが、今回はこの資格についてのお話です。
結論から端的に書くと「皆さんぜひこの資格取得を目指して「通訳案内士」資格試験を受験しましょう!」という事です。 “0007-通訳案内士(国家試験)受験のススメ(忍者ハットリ君と地下鉄半蔵門線から始まる好奇心)” の続きを読む
「0003-フィルモグラフィー(過去の自主映像作品)」に書いた通りに、私が映画制作をするようになったキッカケというのは中学生の時に自ら主演の自主映画を作って学校の文化祭で上映した事でした。
中学生の時は友人の多くがブルース・リーやジャッキー・チェンを好きだったり、あるいは空手、プロレス、ボクシングにそれぞれ愛を注いでいたり何かしら格闘技に絡んだ仲間がほとんどだったので、彼らと一緒にカンフー映画を作って上映し、作品が褒められたりすると、そういう小さな成功体験がスタートのキッカケとなりました。 “0006-モチベーション (映画制作を継続する源となっている力)” の続きを読む
さて、前回無事に(?)盲腸炎で入院・手術する事が決まり、いよいよここからが本題の始まりです。
入院したのは高校2年生の時で、熱でダルイし意識してみればお腹を押されると非常に痛いし大変なことになっていたのだけれど、それまで私は大きな病気をした事もなく入院というのも初めての事だったので、人生初の大イベントで多少ワクワク感というのがありました。 “0005-「盲腸炎」で入院・手術した時の話 -後編-” の続きを読む
私はこれまでにいろいろと病気で病院にお世話になることが多くありました。
学生の頃は基本的に運動好きな健康優良児だったと自負してますが、成人以降の自主映画制作をメインとして仲間と共同生活を始めてからは、そこからの不健康極まりない生活の影響だと思いますが、原因不明の腫れやら痛みやらを何度か発症して苦しんできました。
(いつか書きますが「ZOLTARの呪い」のせいという説も有力です)
今にして思えばその端緒と言えるのがこれから書く入院体験だったと思います。 “0004-「盲腸炎」で入院・手術した時の話 -前編-” の続きを読む
ブルース・リー好きな友人らが当時販売され始めたばかりのVTRカメラを使って、アクション映像作品を作ると声をかけられ参加・出演した事で映像制作に関わり始めました。
この時の作品は未完成でしたし、最終的には単なるおふざけ映像制作で終わった感もありますが、これがキッカケとなってその後の学生生活も以下の通り自主映画制作を続ける事となります。 “0003-フィルモグラフィー(過去の自主映像作品)” の続きを読む
私は19才以降は実家を出てずっと都内で暮らしてきました。
なので両親と同居していた期間というのは18年間で、しかもそのうち0~5歳位まではまだ物心もつかないので『同居』と呼べる期間は実質13年くらいしかありません。
それとは対照的に映画制作活動を共にしたメンバー(丸島・高村・槇など)とは10年以上、中でも「楓牙」を共同制作した丸島にいたってはほぼ19年もの間、一つ屋根の下で一緒に暮らしてきました。(ちなみに丸島と一緒にくっついてきた猫ちゃん2匹♥♥も18年間同居しました) “0002-血より濃きもの” の続きを読む
![]()
このブログは私、梅崎のこれまでや映像・映画に関する話題、通訳案内士や英語資格試験、観光や歴史・地理に関する話題、私の体験した病院や病気に関する様々な話、その他これまでの様々な体験談など多岐に渡る話題をコラムとしても発信していく予定です。 “0001-ウメガメの歩み・ブログ開始” の続きを読む